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金川城

(岡山県)   金川城

金川城(かながわじょう)は、備前国御野  別名、玉松城
[城山 2015/7 南方向 宇甘川橋から撮影]

臥龍山 (玉松城跡) 

別名 玉松城

城郭構造 連郭式山城

築城主 松田盛朝

築城年 承久3年(1221年)頃

主な城主 松田氏、宇喜多氏

廃城年 慶長5年(1600年)

遺構 石垣、曲輪跡、堀切、井戸

[編集]
鎌倉時代中期、承久の乱鎌倉幕府方につき軍功のあった松田盛朝は、備前国
御野郡に所領を与えられた。
承久3年(1221)頃に最初の築城があったと考えられる。

その後、
松田氏岡山平野に進出し、富山城に本拠を置いた。室町時代中期の文明年間(1469-1486応仁の乱の混乱期に松田元成は富山城より本拠を金川城に移した。

元成は城を拡充し連郭式の
山城が整った。松田氏は備前国西部を領し、備前守護大名赤松氏や守護代浦上氏と対峙した。

岡山県
下でも天神山城と並んで最大級の規模を誇る中世山城であり「西備前一の堅城」と謳われたという。

また、
日蓮宗の信仰厚い松田氏は本の丸西の尾根筋に有り守備の要である段々曲輪、道林寺丸の中に日蓮宗の道場、道林寺を築いた。

建城以来、一度も陥落したことはなかったが、
戦国時代永禄11年(1568)時の当主・松田元賢が妻の父である宇喜多直家に攻められた際には、あらかじめ宇喜多方と通じていた家臣の伊賀久隆に開戦前に城内の一部を占拠されるなど不意打ちを受けた事も有りわずか2日で落城した。

元賢と父の
松田元輝、松田氏の重臣多数がこの戦で討たれ松田氏の宗家流はこれにより滅亡した。落城が77日であったので土地の人々は長い間七夕祭を行わなかったと伝えられている。その後、宇喜多氏の城代として直家の弟・宇喜多春家が入った。慶長5年(1600関ヶ原の戦いで宇喜多氏は改易となった。代わって小早川秀秋が備前に入ったが、秀秋は金川城を廃城とした。


金川地区活性化推進協議会

案内文

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Author:mount
2002年から伯耆大山の麓で『シニアライフ』 
大山暮らしの日々 感動を記録に残したくて
PCに挑戦 H,Pを始めました。四苦八苦で何回と無く
挫折しながらも継続しています。
数年後には、BLOGが始まりました。
BLOGとHPと両方でリンクして
日々の暮らしを画像日記で記録しています。

鳥取で始めた山歩き・SKIクラブに入会 公民館講座
と親友の輪も広がり楽しく過ごしました。
10年近くして無縁だった病気に成り帰岡
岡山で再び山歩き会・SKIに入会 仲間との出会い
元気を貰って第二のシニア ライフ
私の林住期 岡山暮らしHP/BLOGと続けて書いてます。

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